稀車 こんなクルマ知ってる?

稀車、知ってる?

Rochdale Olympic GT

●こんなクルマ知ってる?
 人気のあるクルマ、有名なクルマはさておき、こんなクルマも存在した。名もなく、あまりスポットを当てられることもなく消えていったクルマ。つくり手の意欲は成就することなく、失意のなかで埋もれていったクルマ。趣味人というのは、そういう隠れた存在が捨て置けない。思いつくまま、そうしたクルマを拾ってみよう。

■ロッチデール・オリンピックGT/Rochdale Olympic GT
*ROCHDALE CLASSIC* 

 1950年代から60年代にかけて、英国には「バックヤード・ビルダー」と呼ばれる小メーカーが数多く存在した。文字通り、バックヤード、すなわち家の裏庭でクルマをつくってしまう、そしてあわよくば生産して販売してしまう。いかにもアマチュア臭の残る、それだけに個性的で興味深い作品が少なくなかった。なんとなれば、クルマづくりに燃えたコンストラクターのボスこそ、われわれと同じクルマ好きだったりするのだから。
 で、ロッチデール。ロッシデールと読むのか、いやロックデールなどと諸説あったが、ここでは英国在住の友人のご託宣にしたがってロッチデールで進める。そもそもは戦後間もなく、アルミでボディをつくるところから、メーカーとして名乗りをあげたロッチデールは、1950年代後半に当時の新素材、FRPに移行する。そしてつくりあげたのがオリンピックGTという、コンパクトなクーペであった。最大の特徴はそのFRPでシャシーまでを形づくり、軽量FRPモノコックを実現したこと。ロータス(初代)エリートがFRPモノコックの草分けとして知られるが、それとほぼ同時期にロッチデールもトライしていたのだ。
 オリンピックGTは1960年から最終的には400台ほどがつくられたというから、この種の「バックヤード・ビルダー」としては大した成功作といえた。初期モデルはエンジンにライレイの1.5Lをコンヴァートしたのをはじめとして、その他BMC各車のコンポーネンツを利用していたが、1963年からはBMCからフォードのコンポーネンツに移行してMk-Ⅱにチェンジ。60年代いっぱい生産がつづいた。
 写真は後期型のロッチデール・オリンピックGT。アルミ・ホイールはじめ少々手が入れられているが、英国の愛好家のもとで大切に維持されている1台。

稀車 こんなクルマ知ってる?

稀車、知ってる?

Elva GT160

●こんなクルマ知ってる?
 人気のあるクルマ、有名なクルマはさておき、こんなクルマも存在した。名もなく、あまりスポットを当てられることもなく消えていったクルマ。つくり手の意欲は成就することなく、失意のなかで埋もれていったクルマ。趣味人というのは、そういう隠れた存在が捨て置けない。思いつくまま、そうしたクルマを拾ってみよう。

■エルヴァGT160/Elva GT160
*ELVA CLASSIC*

 エルヴァは英国のスポーツカー・ブランド。エルヴァ・クーリエはレーシイなリアル・スポーツカーとして知られるが、そのエルヴァの最後の作品といえるのがエルヴァGT160。エルヴァBMWという別名から想像できるように、BMWのエンジンをミドシップ搭載した意欲作。FRP製のボディ・スタイリングもいかにも英国的というか、イタリアンではない感じがクルマ好きには惹かれる。残念ながらエルヴァ再興の切り札にはなり得ず、少量を生産したにとどまる。このオレンジ色は、エルヴァの工場にあったもの。

カメラ年鑑

やっぱり
クルマは
いいもんだ

デザインする人

●デザインする人
 クルマの魅力の一番は、なんといってもその美しいスタイリングだろう。もちろんメカニカルなエンジンルームなどを見て、ハッとさせられることもあるけれど、まずもって目の前におかれたクルマの美しさに魅了されてしまうことが多い。もっとも工業製品たるクルマの場合、ホイールベースにはじまって居住性の確保、コンポーネンツのスペース、さらには生産性のことなど要件がたくさんある。だからこそでき上がったクルマの美しさは格別だったりするのだ。
 カメラもある部分では同じようなものかもしれない。機能的でありながら、そこに美しさが宿っている。趣味人を惹き付けるなにか、「男の趣味対象」として、欠かせぬものの条件のようだ。

■「2010年「カメラ年鑑」(日本カメラ社)
*クルマは斯くも面白い*

 カー・デザイナーが設計したカメラという題材で、斯界の大先輩である高島鎮雄さん、写真家の飯田鉄さんと座談会をさせてもらった。高島さんはクルマだけでなく、カメラ、時計の大家として広く知られる博学の人。佳き時代の「カーグラフィック」誌にいくつもの名作を残している。このときのメインはデ・シルヴァさんデザインの新発売ライカM9チタンだったが、話はあちこちに飛んでとても面白かった。まとめた編集者は大変だっただろうが、われわれは大いに楽しませてもらった。

クルマ好きは先輩の背中を見るもよし

やっぱり
クルマは
いいもんだ

クルマ好きの同志

●クルマ好きの同志
 趣味というもの、基本は個人で愉しむものではあるけれど、同好の士の存在はとても嬉しいものだ。同好というだけで、ココロ和まされてしまうし、また力強くも思えたりする。それぞれに、たとえばミニ好きとアルファ・ロメオ好き、というように好みは異なっていたとしても、お互いにクルマ好きという点では共通の思いを見出してしまう。いや、硬骨の英車党、などというのはそれはそれで尊敬してしまうけれど、それ以前に、多くのヒトは単にいま所有しているのがアルファのスパイダーというだけであって、ミニもポルシェも嫌いではないのだ。もともとはミニのクラブで出発したはずなのに、いまでは英車、イタリア車入り乱れて愉しい、などという場合も少なくない。
 というわけで、クルマ好きの同志の存在は、趣味を共有するという点でもベイシックな注目点となるだろう。

■「クルマ好きは先輩の背中を見るもよし」(2001年、二玄社)
*クルマは斯くも面白い*

 「生涯自動車生活」というサブタイトルがつけられているが、趣味というもの一生もので愉しむもの。継続は力、つづけていけばいくほど新たな境地にも到達したりするというものだ。「小林彰太郎さん、ぼくたちはあなたの背中を見ながら、クルマ好きの道を学んできたんです」という帯の惹句の通り、小林彰太郎さん、もとホンダのデザイナー、佐藤允弥さん、黛健司さんのオーディオとアルファ・ロメオ生活、戸井陽司さんのフィアット生活、増井勤さんのミニカーとその延長にある1/1、と一生もの趣味を実践していらっしゃる方にお話を伺った。どれもが「珠玉」、目からウロコであった。

■「クルマ好きはこんな生き方に感動する」(2001年、二玄社)

「真剣自動車生活」。その通り、真剣にクルマと向き合って ブガッティ遣いの故阪納誠一さん、有名な愛好家「秋田の柴田先生」のポルシェのお守をしていた尾形嘉敏さん、「ガレージ・ミニ」の河西弘幸さん、「田中板金工業所」の田中邦雄さん、「フラット4」の小森隆さん、「ピッカースレイ・ロード・ガレージ」の志村隆男さん、「プレスコット」の平武司さん、それぞれの真剣自称車生活をお訊きした。

「世田谷ライフ」誌

狂言回し

Austin-Healey Sprite

「カニさん」

そのむかし、ようやくクルマを所有できるようになった頃、次のステップとして、普通の実用車ではなくてなんとか「趣味のクルマ」が欲しいと思った。いろいろな雑誌や洋書などを調べて、目標のクルマを決めた。それがなにを隠そう「カニ目」ことオースティン・ヒーリー(その頃はヒーレーと呼んでいた)・スプライトMk-Iであった。選定の理由はたくさんあるが、なにはともあれ「財布の軽い若者のためにスポーツカー」というのが気に入った。身の丈に合った存在でないと、趣味は破綻する。そんなことがぼんやりと頭の中に浮かんでいた。ステップアップするための、まずはクルマ趣味の入口のつもりで手にした「カニ目」はしかし、飽きさせなかった。3台乗り継いで、いまもってわが家のガレージに居つづける。そして、「カニさん」を使って、さまざまな記事を企画した。

■「世田谷ライフ」誌/「東京生活」誌(エイ出版)
*Frog-eyes Topics*

「東京生活」「湘南ライフ」などいろいろ発行するうちのひとつ「世田谷ライフ」誌には、2002年の創刊号から「世田谷事情通」と題して世田谷のあれこれをエッセイする連載をさせてもらった。  姉妹誌「東京生活」では「カニさん」を狂言回しのように使って、東京のあちこちを歩いて、趣味的なものを訪ねるという「TOKYO 趣味人ウォーカー」も連載。たとえば山手線各駅巡りなど、小回りの効く「カニさん」の特技を活かして、3号連載で山手線を一周し、各駅前でのスナップ写真、各駅近くでのおいしいもの屋散策など面白かったなあ。写真は、今はなき東横線が山手線をオーヴァクロスする渋谷付近のシーン。下は東海道品川宿(右)と左は世田谷にある幼稚園の送迎遊戯汽車と「カニさん」。

「クルマ趣味入門」

表紙に…

Austin-Healey Sprite

「カニさん」

そのむかし、ようやくクルマを所有できるようになった頃、次のステップとして、普通の実用車ではなくてなんとか「趣味のクルマ」が欲しいと思った。いろいろな雑誌や洋書などを調べて、目標のクルマを決めた。それがなにを隠そう「カニ目」ことオースティン・ヒーリー(その頃はヒーレーと呼んでいた)・スプライトMk-Iであった。選定の理由はたくさんあるが、なにはともあれ「財布の軽い若者のためにスポーツカー」というのが気に入った。身の丈に合った存在でないと、趣味は破綻する。そんなことがぼんやりと頭の中に浮かんでいた。ステップアップするための、まずはクルマ趣味の入口のつもりで手にした「カニ目」はしかし、飽きさせなかった。3台乗り継いで、いまもってわが家のガレージに居つづける。そして、「カニさん」を使って、さまざまな記事を企画した。

■「クルマ趣味入門」(保育社)
*Frog-eyes Topics*

 カラーブックスという懐かしの名盤があった。その716番目は「クルマ趣味入門」であった。中身についてはクルマ趣味のいろいろからブランド別の紹介、ミニチュア、専門ショップ一覧などカラーブックスらしく広範にわたって紹介。このHPの下敷きになるような一冊だが、それよりも見てほしいのは表紙。これはイノウエにとって二代目の赤と三代目の淡緑、2台の「カニ目」を並べて撮影した懐かしいもの。許されるならば「カニ目」ばかり6色車庫に並べてみたい、などと夢想したりしたものだ。

■「オースティン・ヒーリー/英国車の愉しみ」(1997年、草思社)
*Frog-eyes Topics*


 「カニ目」に対する思いの丈にはじまり、それを入手したことによって得ることのできた愉しいクルマ趣味実践の日々までを綴らせてもらったハードカヴァ250頁。なぜ「カニ目」に至ったかをはじめとして、英国車の魅力、生みの親(生みの息子、か)であるジェフリイ・ヒーリーさんとの出会い、そして「哀しい終章」として1994年に氏が急逝されたことまでを述べた。まだお目にかかったことのなかった製造時の写真や図面をヘリティッジで発見して借用できたのは嬉しかった。

ヒストリック・スポーツカーの作法

作法

Austin-Healey Sprite

「カニさん」

そのむかし、ようやくクルマを所有できるようになった頃、次のステップとして、普通の実用車ではなくてなんとか「趣味のクルマ」が欲しいと思った。いろいろな雑誌や洋書などを調べて、目標のクルマを決めた。それがなにを隠そう「カニ目」ことオースティン・ヒーリー(その頃はヒーレーと呼んでいた)・スプライトMk-Iであった。選定の理由はたくさんあるが、なにはともあれ「財布の軽い若者のためにスポーツカー」というのが気に入った。身の丈に合った存在でないと、趣味は破綻する。そんなことがぼんやりと頭の中に浮かんでいた。ステップアップするための、まずはクルマ趣味の入口のつもりで手にした「カニ目」はしかし、飽きさせなかった。3台乗り継いで、いまもってわが家のガレージに居つづける。そして、「カニさん」を使って、さまざまな記事を企画した。

■「ラピタ」誌 2005年2月号(小学館)
*Frog-eyes Topics*
 

 ヒストリック・スポーツカーの作法というような記事を頼まれて、恥ずかしながら、「カニ目」をモデルに使って「ヒストリックカーの作法」を紹介した。それにしても、「趣味の極意」という特集、小学館「ラピタ」という月刊誌は実に趣味人御用達の雑誌。「大人の少年誌」という惹句が相応しい素敵な雑誌であった。「趣味の極意」には「スーパーカーのバックの仕方」(別掲)「鉄道模型の作法」など、イノウエ大活躍させてもらった。

 

 で、作法としては、「選ぶときの心得」:いい状態のクルマを選ぶ、それはその個体がいい状態かという意味とそのクルマが歴史的にみていいクルマか、という両面がある。「エンジンをかけるまで」「走り出すまで」:少しばかりの暖気をして。いきなりカッ飛んではいけない、ということなど。「日頃のお手入れ」や「市街地の走行術」はいいとして「周囲の目に対するケア」まで念入りに解説した。

「クルマ好きを仕事にする」

やっぱり
クルマは
いいもんだ

クルマを治す人

●クルマを治す人
 クルマが好きだから、クルマに携わっていきたい。いわゆる「スペシャル・ショップ」「専門ショップ」のボスは、同時にわれわれクルマ好きの先生でありリーダーでもあった。彼らの存在があったからこそ、好きなクルマを安心して維持できている。いろいろな知識も彼らから注入されている。彼らのキャリアは是非とも書き留めておきたいテーマであった。
 いわゆる「スペシャル・ショップ」が情熱豊かなボスたちによって現われはじめたのは1970年代だろうか。次第に、輸入ディーラーや国産車の工場、街の修理工場などとは棲み分けが生まれるようになって、すっかり定着してくる頃、その「スペシャル・ショップ」を中心として愛好家のクラブが生まれたり、ひとつの趣味の「場」になったりしたのだった。

■「クルマ好きを仕事にする」(2000年、二玄社)
*クルマは斯くも面白い*

「アルファ・ロメオに熱意を注いだ「コーヘイさん」こと鈴木康平さんがアルファ・ロメオに出遇って、伊藤忠オートに入って、大沢商会に移って、最終的には独立してアルファ・ロメオの専門ショップ「ガッタメラータ」に至るまで、ずっと好きなアルファ・ロメオに携わってきた半生は、クルマ好きにとってとても興味深いものであった(残念ながら2012年12月に亡くなられた)。簡単にいってしまうことはできないけれど、シアワセでちょっと羨ましくなってしまうではないか。ほかにモーガンオートの高野さん、ガレージイワサの岩佐さん、日本計器サービスの野尻さん、ツール・ド・フランスの加藤さん、パラノイアの清水さん、Tタックの小暮さんを訪ねた。皆さんそれぞれにクルマ好き、その情熱の大きさを感じた。

名車を「生む力」

やっぱり
クルマは
いいもんだ

クルマをつくった人

●クルマをつくった人
 われわれが大好きなクルマ。そんなクルマを生み出した人たちは、まさしく「憧れの自動車人」。機会あるごとに、その憧れの自動車人を訪ねた。われわれが「好きのポイント」になる部分を、いかに彼らは創造したのか。閃いたのが熟慮の末に出てきたものなのか。伝説のようになっている物語は本当なのか。直接お訊きした自動車人のことばは、まさしく「宝もの」だ。
 それにしても、自動車産業などという大きな組織からはなかなか生まれ得ないものが、奇跡的に世に送り出された事例。そこには運やタイミングといった運命的なものが介在していたりする。逆に、世に生まれ得なかった逸品というようなものも少なくない。歴史のなかに埋もれてしまったクルマたちにも、大きな興味が湧いてくるのだ。

■名車を「生む力」
*クルマは斯くも面白い*

「時代をつくった3人のエンジニア」とサブタイトルが付けてあるが、トヨタ2000GT、ホンダ・シビック、ユーノス・ロードスターのそれぞれを生み出すに中心的役割を果たした人物というべき3人にインタヴュウし、それぞれの思いを語っていただいた。純粋にクルマが好きという立場でお訊きしたそれぞれのストーリイは、とても興味深いものであった。こうした先人の思いは、ともすれば巨大な自動車産業に埋もれてしまいがちだが、是非とも書き留めておかねばいけないことだ、という思いはいまも強い。1960年代のトヨタ2000GT、1970年代のSB1系シビック、1980年代末のNA系ロードスターと時代背景のちがい、誕生する過程のちがいも面白かった。