109)ロータス・ヨーロッパS2

Lotus

ロータス

コーリン・チャプマンという人物は、佳き時代のクルマ立志伝中の人物。学生時代、ガール・フレンドの父上のガレージを借りてはじめたクルマづくりからスタートし、ロータス社を興し、いくつものエポックメイキングなモデルを送り出し、F1コンストラクターにまで登り詰める。まさしく、クルマ好きの描く夢をいくつも実現してみせた。
 そうした背景もあってか、クルマ好きはロータス車をこよなく愛好し、少なからぬ尊敬を抱いてしまう。初期の意欲作、ロータス(オリジナル)エリートにはじまり、エラン、ヨーロッパといった傑作を残し、エスプリでスーパーカー世界にまで躍り出る。チャプマンの急逝を以ってひとつの時代は終わり、世情の変化もあってしばらく不遇の時代を過ごすことになるが、ロータス・エリーゼでふたたびクルマ好きのアイドルの座を得て、今日に至っているのはご存知の通り。スーパー・セヴンというロータス由来の永遠の1台も含め、その存在は大きい。
■ ロータス・ヨーロッパS2/Lotus Europa S2
*LOTUS CLASSIC*

 ロータスがつねに新しいものを追いかけていた印象があるのは、エランにつづくヨーロッパがまたいくつもの新鮮なインパクトの持ち主だったことも大きく影響している。そう、ただし、われわれがよく知るロータス・ヨーロッパというと、小型のくせに「ビッグ・ヴァルヴ」エンジンを搭載しスーパーカー並みの存在感をみせた最終期のヨーロッパ・スペシャル(タイプ74)を思い浮かべよう。しかし、本来タイプ46として誕生した時のヨーロッパはかなり性格を異にするものであった。
 なにしろ、ロータス社にとってのヨーロッパの位置づけは「セヴンの後継」というものであった。つまり安価にスポーツGTを提供するというもので、徹底的にコストダウンを図ったがゆえに、鋼板組立てのシャシーは脱着不可能、サイド・ウィンドウも固定式というようなものであった。エンジンも乗用車ルノー16用が搭載された。それでも、エランから発展した鋼板シャシーを持つミドシップ・レイアウトは斬新そのもの。軽量ボディの助けによって侮りがたい性能を得たのだった。
 しかし、初期モデルはその名の通り欧州本土、フランスで販売されただけで、いくつかを改良のうえ、2年後の1968年にヨーロッパS2(タイプ54)として送り出され、ようやく広く認められた。ドア・ウィンドウが開閉式になった、などと訊くと、ヨーロッパS2にして、ようやく実用に足るものになったというところか。相変わらずルノー製のOHVエンジンだったが、軽量コンパクトなGTといった性格は明快なものであった。

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ヒイキのイケン:

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