63)ロータス・エスプリ・ターボ

Lotus

ロータス

コーリン・チャプマンという人物は、佳き時代のクルマ立志伝中の人物。学生時代、ガール・フレンドの父上のガレージを借りてはじめたクルマづくりからスタートし、ロータス社を興し、いくつものエポックメイキングなモデルを送り出し、F1コンストラクターにまで登り詰める。まさしく、クルマ好きの描く夢をいくつも実現してみせた。
 そうした背景もあってか、クルマ好きはロータス車をこよなく愛好し、少なからぬ尊敬を抱いてしまう。初期の意欲作、ロータス(オリジナル)エリートにはじまり、エラン、ヨーロッパといった傑作を残し、エスプリでスーパーカー世界にまで躍り出る。チャプマンの急逝を以ってひとつの時代は終わり、世情の変化もあってしばらく不遇の時代を過ごすことになるが、ロータス・エリーゼでふたたびクルマ好きのアイドルの座を得て、今日に至っているのはご存知の通り。スーパー・セヴンというロータス由来の永遠の1台も含め、その存在は大きい。
■ロータス・エスプリ・ターボ/Lotus Esprit turbo
*LOTUS CLASSIC*

 それにしてもロータスは役者揃いであった。当時からエポックメイキングなクラシックとして認識されていたロータス・(オリジナル)エリートをはじめとして、エラン、ヨーロッパ、コルティナ、エスプリ、そしてセヴンと並べてみると、どれもがスポーティで面白いクルマ、という以外あまりに広範囲なのに驚くほど。だって、スポーツ・クーペありオープンあり、四角いサルーンあり、さらにはスーパーカーまであるのだから。これが、ロータスという小さなメーカーから次々につくり出されたものか。いや、そうした小さく意欲的なメーカーだからこそ、なし得たことかもしれない、と理解したのだった。創始者コーリン・チャプマンの生き様を見るに付け、なるほどと納得するとともに、いまさらに貴重なブランドと感じ入るのだ。
 さて、そのスーパーカー部門に入るロータス・エスプリ。1970年代も後半になるとクルマには様々な規制が加えられるようになり、それに石油ショックもあって「ライトウェイト」を売り物にしてきたロータスは、その取り柄を失うのではないかと危惧された。それを察知してかいち早くチャプマンは上級移行によってそれをクリアしようと、(二代目)エリート、エクラ、そしてこのエスプリを登場させたのだ。
 しかし基本はバックボーン・フレーム+FRPボディという、かつてのロータスの手法を踏襲、エンジンはジェンセン車のためにつくった直列4気筒DOHC2.0Lとあっては、スーパーカーというにはいささか心許なかった。1980年になってエンジンを2.2Lに拡大して、さらにターボ・チャージャを付加したロータス・エスプリ・ターボをラインアップして、ようやく面目を保ったのであった。

ヒイキのイケン:

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

一覧へ戻る