Ferrari
フェラーリ
クルマ世界のひとつの頂点のブランド。頂点だけにいろいろプラスもマイナスもあるのは当然として、純粋に憧れさせられる存在であるのはまちがいない。われわれが子供の頃にはあまりにも遠い存在で、馴染みもなにもなかったのだが、だんだん広く知られるようになっていまや高価で高性能なクルマの代名詞のようになっている。その過程をつぶさに体験できたのは幸いであった。どこまでも高嶺の花、永遠の憧れであるのはちがいない。逆にいうと、フェラーリのような憧れのクルマがなかったら、貯金する目標を失ってしまうヒトも出てくる、というものだ。
「フェラーリでありながらフェラーリでないアイロニイ」などと気取ってディーノ246GTを手にして、写真集をつくり、いくつものフェラーリ関連の書物を世に送り出してきたのは、やはり純粋に憧れ、好きである証拠だろう。
「フェラーリでありながらフェラーリでないアイロニイ」などと気取ってディーノ246GTを手にして、写真集をつくり、いくつものフェラーリ関連の書物を世に送り出してきたのは、やはり純粋に憧れ、好きである証拠だろう。
■フェラーリ288GTO/Ferrari 288GTO
*FERRARI CLASSIC*
なんでも欲しいフェラーリを1台をあげよう、といわれたらなににする? 若かりし頃の茶飲み話のようだが、そうだなあ、と少し考え込んでフェラーリ288GTOの名前を挙げたことがある。いや、実際に所有して維持できるか、などという現実味は無視したところでの選択。だって、エンジンはV8縦置きだけれど2基のターボ・チャージャでドカーーンと速いし、それでいてスタイリングの美しさ、全体のつくりのよさなど「宝もの」にできる資質の持ち主だ。
少しばかりアマノジャクのイノウエには、その後にブームの寵児のようになったフェラーリF40に対する、ちょっとした反骨の部分もあるのかもしれない。フェラーリ288GTOの名を挙げ、実際にステアリングを握らせてもらったり、写真撮影をさせてもらったりし、その度に本気で「いいなあ」と思うようになっていった。もちろん、永遠の夢、であるのがいいところなのだが。